学校で先生が毎日、日本人の罪と日韓友好の大切さを熱心に語り続けるから、韓国と付き合うメリットは何か聞いたら…
「私たち日本人がメリットなど語る資格は無い。許してくれるまで謝罪するべきだ」とドヤ顔で訳分からんこと言うからクラスの2/3くらいで授業ボイコットしてやった。

録音したものを今、友達のオヤジ(弁護士)に検証してもらって夏休み後、然るべき手段をとる予定。

子供だと思ってなめるなやι(`ロ´)ノ

若い人に知っておいてほしいことがある。
年老いるということは、ただ単に見た目の若さと体力を失うということではない。
年老いるという事実において、一番重要で致命的なことは、感受性を失うことだ。
年老いることであなたはソフト的にもハード的にも感受性を失う。

センサーを失う。
理屈的にもわかることだと思う。年老いたうさぎはヒゲの本数が少なくなる、それが人間にも当てはまる。
なんで昔の自分はこれが面白かったんだろう? そう思う時が来る。音楽がただの退屈な波形になる。
漫画がただの退屈な絵の配列になる。絵がただの退屈な線と色の集合になる。色がただの電圧差になる。

生きる意味は生きる日々だ。
だが、生きる日々を無意味に見せるのが老いだ。

あなたがたは僕と違って若く、あるいは老いに対して勇敢に戦っている。

どうでしょう? 日本の小中学校、あるいは高等学校までの教育の中で「人前で皆に愛されるように話しかけつつ、皆に自分の論理的な話題の骨子がしっかり伝わるような教育」を与える場が、どれくらいあるでしょうか?

 逆にこうしたことが極端に苦手という弁護士も、日本では決して珍しくないと思います。

 「論破できればいい」。さらには「ばれない嘘や空砲ならいくら打っても構わない」「屁理屈でもなんでも勝訴すれば勝訴」。そんな話もちらほら漏れ聞こえます。欧米と日本の「弁論」で、最も異なるポイントの1つが、この「愛される話者であるか?」という部分にあります。

 そして、これを記すと反感を買う可能性があるかと思いますが、事実なので記せば、この「愛される話者」の能力を持っていることが「教養人」の必須の能力として、欧州では現在もしっかりと受け止められている。

 逆に言えば、口をトンガラかして屁理屈を捏ね、論破はするけれど絶対に愛されない」という話し手は、しばしば「無教養」な人物と見なされてしまう。